成長過程

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「勉強」は本当に楽しくないのか?

こんにちは、いーりです。

 

今回の論旨は「勉強」はいつ楽しくなるか?ということです。

勉強楽しくないって人がほとんどだと思いますが、勉強楽しいって人もいるわけで、その境目ってどこにあるんだろうなと疑問に思いました。

今回の記事を書くにあたって、数学が嫌いな人、数学LD疑惑の臨床心理士、ベテラン塾講師、公立小学校の校長先生に話を直接聞き(選別はコネクションの関係です)、敬愛するQuizKnockの書籍を読み、自分の過去を振り返ってみました。つまり「いろんな立場の『勉強』や『楽しい』に関わる職業の人」と触れたわけです。

なにせ私は「数学のオネエサン」になりたいですから、「数学おもしろい!」って思ってもらいたいわけです。その話もしたいので、別記事にしましょう。

よし、やっていきましょう。

 

【本編】勉強は楽しいところからはじめる

本当に申し訳ないのですが、「試験のための勉強法」としてはコスパの非常に悪いやりかたをご紹介します。コスパ求めるならどうしたらいいかっていう点についてはまだ喋れないので、数学以外のやつは他をあたってください。

小学校の校長先生には「公立小学校の各科目って、何が目的なの?」といったことも聞きました。我々がおそらく最初に学問というものに学問として触れる、「教科書がある」タイミングは、小学校一年生だと思います(一部の人を除く)。つまり初めて学問として触れるものを教える立場は、何を目的にしていたのか?というところですね。

校長先生からは「その科目に興味を持ってもらって、勉強楽しいって思ってもらうことも目的の一つ。そしてそれはたいへん難しい」という回答をもらいました。そうだよね、だって勉強楽しいって人そんなにいないもん、と思いました。環境的に教科書を閲覧することはできないのですが、教科書ってなんとなくカラフルだったし、キャラクターがいて、会話しながら学びを補助していく……といった形式をとっていたようにも思います。「興味を持つ」ところが、勉強が楽しくなる最初の一歩というわけですが、その興味を持つタイミングは人それぞれなので、同じ教科書で同じように勉強したら、そりゃタイミングがつかめない人も出てくるわいなと。

たとえば、私は小学校のころから図形問題がとにかく好きで、いちばん好きで、いちばんたくさん解いていたと思います。きっかけは分からないです、気づいたら好きだった。たぶんうまいこと成功体験が積まれたんでしょう。でも、数学嫌いの友人は「パズルはつまんなかったから図形問題がいちばん嫌いだった、ストーリーがないから」と言っていました。

これはおもしろくて、私はストーリー性を重視していないので、その人が好きな歴史については、私はそうでもありません。最近やりたいと思うようになりましたが、きっかけは「仏教史を学びたいが、それを理解するには世界史や日本史を知らないといけないだろう」というところです。仏教史については、頭の中にイマジナリーお坊さんを作ろうということで、「じゃあ宗派決めないとね、でも宗派多すぎてなんもわからん、よしお坊さんにどうすればいいか聞くか、まあそうですよね勉強するところから始まりますよね、あ、歴史ですか、はい、やります」という流れでした。

ぶっちゃけ歴史は苦手ではありませんでしたが嫌いでした。ストーリーを教えられてもどうしても政治的な偏りがあるというのが許せませんでした。冷静に考えていろんな文献を読めば偏りもある程度は是正されるんですけどね。でも「やりたい、やろう」と思えるきっかけは、自分のメンタルを健やかにするところでした。なんでお坊さんかって?寺生まれの友人が何人かいたり、お坊さんがお経をあげに来たりと身近だったからですかね。あと唯一神がいないのがいいですね。お釈迦様は神様じゃない。

 

話を戻しましょう。楽しくなくて嫌いだった歴史をやるきっかけが、他の人とは違ったわけです。案外多いきっかけかもしれませんが、まさか「おまえはこれから仏教の宗派を選ぶことになるから、前提知識のために歴史は思いきりやっとけ」なんて過去の自分に言ったところで信じないでしょう。だからこのきっかけは「今、幸運にも遭遇した」んですね。

勉強に興味を持つきっかけは、幸運を掴まないと得られません。そして、幸運は自ら掴みに行くものです。口を開けて「ほら、楽しくしてみろよ、興味持たせてみろよ」と餌が運ばれてくるのを待っているだけでは、いつまでたっても勉強は楽しくならんわけですね、残念。

せっかく勉強やるんだったら楽しい方がいいでしょ。それに勉強した内容は誰にも奪えない自分だけの甘い果実です。勉強は自分のためにやるんです。聡い読者の方ならこの先の展開が読めると思いますが、「楽しくなるためには、きっかけをつかんで成功体験を積むのが必要だが、きっかけをつかむには経験をこなす必要があるなら、「楽しくない勉強をやらなきゃいけない時期」がどうしてもあることにならないか?」という疑問が浮上するのが自然ですね?自然なんですよ、そういうことにしてください。

ここで回収しましょう、「勉強は楽しいところからはじめる」のです。楽しくないところはひとまず置いておいて、楽しいところからはじめればよいんです。楽しいところなんにもないって?いやいやご冗談を、絶対あるから、本当だから。本当に見つからないならもう諦めるしかないけど、近道しなくていいから「ここならギリ楽しい」ってところからはじめましょう。勉強を進めるうちに、きっかけが増え、他の範囲も勉強するようになって、楽しいと思える範囲が広がっていくと思います。人によりますが、私は狭く深く理解しようとする脳のクセがあるので、広がるスピードは遅いですが、それでもちゃんと広がってはくれます。そこまできたら、おめでとうございます、きっと繰り返しで楽しくなっていきますよ。

 

さて、仏教史のために歴史勉強します。まずは概要をさっくりWikipediaかなんかで調べて全体をつかもう。それからとっかかりの部分を嗅覚で見つけて書籍買ったりしよう。ロシア史に詳しい友人は……今回はお世話にならないかもしれないけど。あと近代日本史に詳しい先輩もジャンル違いそう。歴史好きの知り合い多いですね、これからきっとお世話になるだろう、ありがたやありがたや。